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高松高等裁判所 昭和62年(ネ)141号 判決 1993年1月25日

控訴人(選定当事者)

下元幸夫

(選定者は別紙選定者目録記載のとおり)

右訴訟代理人弁護士

戸梶大造

控訴人

安井智

被控訴人

檮原町

右代表者町長

中越準一

被控訴人

四万川区

右代表者区長

高橋栄

右被控訴人両名訴訟代理人弁護士

中平博

三木春秋

右被控訴人檮原町指定代理人

山口正郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人らは、「一 原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。二 被控訴人檮原町は、控訴人らに対し、金一一二五万円及びこれに対する昭和四五年一〇月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。三 控訴人らと被控訴人四万川区との間で、別紙債権目録記載の保護交付金請求権が控訴人らに帰属することを確認する。四 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決、及び、右第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示(控訴人らと被控訴人らに関する部分。ただし、原判決書四丁表三行目「屋根の敷葺」を「屋根の敷茅」に、一一丁表二行目「逐時改正」を「逐次改正」に、一四丁表五行目「地え」を「地拵え」に、三九丁の「別紙(二)」全部を「本判決別紙債権目録」にそれぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人らの主張

(一)  原判決後における選定当事者の変動等

原判決別紙選定者目録(乙)記載番号2下井新太郎は、平成元年一二月九日死亡したが、井高部落に居住する相続人がいないので、右下井新太郎の死亡により同人の訴訟は終了し、同番号4下井実馬は、平成二年二月三日死亡し、同人の妻下井春見が右実馬の権利義務を承継し、同番号6安井智は、昭和六三年一月九日選定者下元幸夫に対する選定を取り消し、同番号9下井清次郎は、昭和五九年一一月一二日、井高部落から他に転居して本訴提起の適格を失ったので平成二年六月七日訴えを取り下げた。その結果、控訴人安井は、高知県高岡郡檮原町井高部落に居住するものとして、自ら本訴の原告(控訴人)となり、控訴人下元は、井高部落に居住する二二世帯のうち控訴人安井を除く世帯主二一名から選定され、自ら及びこれらの者の共同の利益のため選定当事者となった。

(二)  控訴人らがかっての土地所有者ないしは入会権者として保護交付金請求権を有することについて

(1) 井高部落の孤立した生活環境と生活の実態

(イ) 井高部落は、標高七〇〇メートルから一三〇〇メートルの範囲にあり、住居の位置は、標高七〇〇メートルから九〇〇メートルの間にある。そして、同部落は、急斜面の山林に囲まれて、愛媛県と境を接し、昭和二〇年に四万川区六丁から幅員約2.5メートルの車道が開設されるまでは、町内で最も近い隣の坪の田部落へ行くのに途中断崖があるため約六キロメートルの山道を徒歩で一時間余必要とする孤立した部落であった。

(ロ) 井高部落の戸数は、大正時代三〇戸であったが、現在は二二戸である。同部落の農業は、典型的な焼畑農業で、同一の土地で五年間耕作をすれば、後二〇年間はその土地で耕作をしないで原野に戻し、土地の自然肥沃化を待つという方法で耕作していたため、広大な土地を必要とした。農業による産物は、とうもろこし、そば、茶及び小豆等が主たるもので、そのほかに、製炭、牛の飼育、製紙原料の三椏の栽培、野山に自生するうど、ぜんまい、わらびの採取等がある。

井高部落の住民は、別紙債権目録記載の本件土地で独占的排他的に雑木を伐採して製炭事業を行い、牛の飼料の草刈場として、また販売して収入を得るためのうど、ぜんまい及びわらび等の採取場所として使用してきたものであり、このような状態は、江戸時代後期から大正時代に官行造林が実施されるまでの長年にわたって続いてきたのである。

(2) 本件土地の入会権者について

被控訴人区の住民のうち、井高部落の住民以外の者は、本件土地に入会ったことはない。井高部落の住民は、江戸時代後期から本件土地を独占的排他的に使用収益し、入会権者として大正時代に官行造林がされるまでこれを続けてきたのである。このことは、井高部落に保存されている明治一八年作成にかかる古文書(<書証番号略>)、被控訴人町作成にかかる公有林の歩み(<書証番号略>)、檮原村誌(<書証番号略>)、炭焼窯の跡が存在していること(<書証番号略>)によって明らかである。

(3) 本件土地上の山林の保護義務について

井高部落は、昭和二〇年に前記車道が開設されるまで、四万川区内の他の部落との交流は容易でなく、本件土地内で火災が発生した場合、他の部落から消火活動のため駆け付けるには、山また山を越えて数時間を要する状況にあり、本件土地の山林について、条例上の火災防止の保護義務を果たし得る者は井高部落の住民以外にはない。現に、本件土地において発生した数回の火災の消火活動は、井高部落の住民のみがこれに当たった。また、同住民は、日ごろから、山林内に火気を絶対持ち込まないとの申し合わせをし、更に春の山焼きには消火用器具を携行するなどして、同部落住民に課せられた条例上の保護義務を果たしているのである。保護交付金は、山林保護の代償として交付されるものであるから、本件土地の山林について右の代償を受け得る資格のある者は井高部落の住民のみである。

(4) 保護交付金について

統合町有地に対する保護交付金は、同地に官行造林を実施した結果、地元部落が同地に対して有する入会権を行使することができなくなり、また造林により灌漑用水が冷水化して農作物の収穫が減少したり、鳥獣が繁殖して農作物に被害を与えること、更には地元部落民が同地上の山林に対して前記保護義務を負担することになったことに対する代償として支払われるものである。したがって、統合町有地に対する保護交付金は、同地の旧所有者に支払われるべきものではなく、統合町有地のある区内の入会権者である地元部落、すなわち同地を古くから使用収益してきた入会権者である地元部落に支払われるべきものである。右に関し次のような事例が存する。

(イ) 本件土地と同様に、明治四〇年六月七日檮原区に保存登記がされ、同年八月一二日被控訴人に所有権移転登記がされた統合町有地につき、同区内の川井部落及び下西ノ川部落が直接被控訴人町に対し保護交付金を請求し、同町がこれを交付している(<書証番号略>)。

(ロ) 本件土地と同様、区が保存登記をした後に、被控訴人町に所有権移転登記がされた統合町有地につき、同区内の各部落に保護交付金の請求権があることを前提として、町議会が次の議決をしている。

① 昭和三二年一月三一日議決、同年議案四二号、村有地立木売却の件。

右は、統合町有地の天然雑木林を町が公売し、そのうち保護交付金を道路改修費の地元負担金に当てたいとの檮原西区内広野部落代表からの申請を承認した議案である(<書証番号略>)。

② 昭和三三年七月二九日議決、同年議案一四号、村有地上立木売却に関する件。

右は、統合町有地のある西ノ川部落が造林した立木を売却し、その保護交付金で部落の負債を整理したいとして売却の申請をし、これを承認した議案である(<書証番号略>)。

③ 同年九月二二日議決、同年議案三五号、村有地立木売却の件。

右は、前記(イ)と同様檮原区の川井部落から統合町有地上の雑立木を売却した代金のうち保護交付金を農道改修工事費の地元負担金に当てたいとの申請を承認した議案である(<書証番号略>)。

④ 同日議決、同年議案三九号、村有地に対し造林を行わせる件。

右は、地元部落又は部落内の数人が組合を結成し、統合町有地に造林の申請をしたのに対し、町議会が町有林野取扱条例により承認の議決をした事案である(<書証番号略>)。右のうち四万川区内の分は六件あるが、これは同部落民が数名で組合を結成して申請した方が、分収金とは別に保護交付金として関係地元に一〇パーセントが交付されるので井高部落が造林する場合より有利となるため、井高部落内で協議をし、地域を分け、それぞれの区域に部落の住民を割り当てて組合を結成して申請したものである。

⑤ 昭和三四年四月五日議決、昭和三三年議案五九号、村有地上植林保護交付金の権利買収に関する件。

右は、初瀬区の初瀬西小中学校下の部落に保護交付金が認められていたところ、同部落と右初瀬区が協議の結果、保護交付金の二分の一の権利を区に認めて和解し、その結果区から右の申請をして承認の議決がされた(<書証番号略>)。

⑥ 昭和三四年四月四日議決、昭和三三年議案六〇号、村有地上立木売却の件。

右のうち、檮原字石藪甲三七三三イの雑木林の公売代金のうち五〇パーセントにつき、檮原区内の大蔵谷部落に保護交付金の請求権があることを認めて承認の議決をした(<書証番号略>)。

⑦ 同日議決、昭和三三年議案六一号、村有地上立木売却の件。

右は、統合町有地の雑木の売却による五〇パーセントの保護交付金について檮原区内の上成部落、下西ノ川部落及び宮野々部落にこれが保護交付金の請求権があることを認めて承認の決議をした事案である(<書証番号略>)。

したがって、右事例から、明らかなように本件土地の保護交付金については、同土地の入会権者である井高部落に支払われるべきものである。

(5) 統合町有地における造林について

本件条例(<書証番号略>)一二条によると、統合町有地において造林をする場合、関係地元代表と協議をすることになっているところ、昭和一六年以降における造林は何百件にも及ぶ筈であるのに、造林契約書は、昭和一六、一七年が僅か三件しかなく(<書証番号略>)、昭和三〇年から昭和三二年までのものが七件にすぎず(<書証番号略>)、また昭和三三年から昭和三五年までのものが二八件あるのみである(<書証番号略>)。このことは、統合町有地に入会権を有する地元部落の住民は、入会権者としての強い意識から、戦前は造林契約は勿論、その後は区の同意を得ないで自由に植林をしていたことを物語るものであり、被控訴人町もこれを阻止し得ず、入会権を認めていたのである。

(6) 被控訴人区内の公共施設の費用負担について

被控訴人区内の道路改修費等の公共施設のために支出する費用は、各部落が交付を受けた統合町有地の保護交付金によって賄ってきた。各小中学校の施設の設置及び運営費は、同校下に住む住民の負担(寄付)とされていたから、被控訴人区が右の費用を負担することはなかった(<書証番号略>)。

2  控訴人らの主張に対する被控訴人らの認否及び反論

(一)  控訴人らの主張(一)は認める。

(二)  同(二)(1)は争う。すなわち、山間僻地に位置する四万川区では、戦後道路が整備されるまではどの部落間でもその行き来は大なり小なり不便であって、井高部落だけが特に孤立していたというわけではない。

(三)  同(二)(2)は争う。入会権の存否は、入会の目的となる林野の存在、入会集団すなわち慣行によって支えられた集団規制を有する人の集団の存在によって判断されるべきである。入会地に入会の構成員全員が入会う必要はないのであって、入会集団の下位組織である小組(井高部落)の者のみが入会っていても上位組織(被控訴人区)に入会権が成立するのである。被控訴人区は、本件土地について、入会の管理を継続してきたのである(<書証番号略>)。

控訴人ら主張の古文書(<書証番号略>)は、帳簿の断片にしかすぎないものであって、それがいかなる目的で作成されたものか明らかでないし、仮に地租改正当時作成されたものであるとしても、それは一個人の所蔵にかかるもので公的なものではないから、下調べの資料というほかはなく、権利関係を証明する資料とはならないものである。

また、公有林の歩み(<書証番号略>)に「部落有」との記載があるが、檮原町においては、統合前の山林を俗に部落有地と表現する習わしがあり、公的文書にも次のような表記がされており、旧村(現在の区)を部落と表記しているのであるから、右部落有の記載から本件土地が井高部落の部落有地であるということはできない。

(1) 檮原村誌(<書証番号略>)に「元四万川部落有」とあり、旧四万川村を四万川部落と表記している。

(2) 村規定(<書証番号略>)の表題に「部落有ニシテ村有ニ統一セル土地」となっているが、本文では「各区」「其区」と表記している。

(3) 議案書(<書証番号略>)には檮原町内の各区を「部落」と表記している。

(四)  同(二)(3)は争う。

大正四年五月三日、四万川区東川所在の佐竹良次外一名方で火災が発生した際には、井高部落内の高階野部落及び伊桑部落から全員(ただし、一戸当たり一人)が消火に駆け付けているのであるから、本件土地内で火災が発生した場合、他の部落から消火のため駆け付けることは可能である。

(五)  同(二)(4)の本文は争う。被控訴人町は、控訴人ら主張の部落に対し保護交付金を交付したことはない。

同(二)(4)(イ)は争う。被控訴人町は、控訴人ら主張の金員を檮原東区長(<書証番号略>)及び檮原西区長(<書証番号略>)に支払っている。

同(二)(4)(ロ)のうち①ないし⑦の各議決がされたことは認めるが、その余は争う。

右①ないし③、⑤ないし⑦は、檮原西区、檮原東区及び初瀬区のものであって、四万川区のものではなく、①ないし③、⑥及び⑦は、いずれも部落代表が立木売却の申請をしているが、その申請については越知面区を除いてすべて当該区長の同意が付されていたものであり(<書証番号略>)、④は、造林の申請に関するものであって本件とは何ら関係がなく(<書証番号略>)、しかも右造林申請には四万川区長が同意をしているのである。右⑤は初瀬区が申請をしているのである。

被控訴人町は、統合町有地に対する保護交付金は同地の旧所有者にこれを支払っている(<書証番号略>)。なお、檮原町内の区によっては、区民の総意により、区と部落との間で、区が被控訴人町から受領した保護交付金の配分方法を定めている所があるが、これが保護交付金請求権の帰属に影響を及ぼすものでないことはいうまでもない。

(六)  同(二)(5)のうち、統合町有地の地元部落の住民が造林契約をせず、また区の同意を得ないで自由に植林をしていたとの点は否認する。被控訴人区は、同区内の造林契約において関係地元として同意をしている(<書証番号略>)。

(七)  同(二)(6)は否認する。

被控訴人区は、被控訴人町から受領した保護交付金のうちから、区内の公共施設の費用を支出し、小中学校の修理費、備品購入費等を支出してきたものである(<書証番号略>)。なお、小中学校の校下に住む住民の負担というのは、生徒が通学している通学地域全体の住民の負担を意味するものであって、現に進学をしている生徒の父母だけを意味するものではない。

三  <証拠関係省略>

理由

一当裁判所も、本件土地上の山林(官行造林)売却代金のうち被控訴人檮原町が国から交付を受けた分収金に係る保護交付金請求権は、本件土地の旧所有者である被控訴人区に帰属し、同区に交付されるべきものであるから、控訴人らの被控訴人らに対する請求は失当として棄却するべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由説示(ただし、控訴人らと被控訴人らに関する部分)と同一(ただし原判決二七丁表一一行目「単位に」の下に「造林木を伐採し売却したときはその」を加える。)であるから、これを引用する。

二控訴人らの主張(一)について

控訴人らの主張(一)(原判決後における選定当事者の変動等)の事実は当事者間に争いがない。

三同(二)(1)ないし(3)について

<書証番号略>、原審証人中越政吾、中越登、下井新太郎の各証言、原審及び当審における控訴人下元幸夫本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  井高部落は、江戸時代に井桑部落と高階野部落とが統合されてできたものであるが、同部落の地域は、標高約七〇〇メートルから約一三〇〇メートルの範囲にあり、住居の位置は、標高約七〇〇メートルから約九〇〇メートルの間にある。同部落は、愛媛県と境を接する山間にあり、戦後車道が開設されるまでは隣接する四万川区内の他の部落との行き来は徒歩によるほかなく、かなりの時間を要した。

2  井高部落の住民は農業に従事し、主として、とうもろこし、そば、小豆、茶、三椏を栽培し、牛の飼育、製炭のほか、野生のうど、ぜんまい及びわらび等を採取してこれを販売するなどして生計を維持してきた。

3  本件土地は、高地(たかち)と呼ばれ、井高部落の住居は同地で牛の飼料にする草、屋根葺用の茅、薪及びわらびの採取をしてきた。

4  本件土地が明治四〇年に統合町有地(当時は西津野村)となった後も、官行造林が実施された大正時代まで井高部落民による右の採取が続いていた。

しかるところ、控訴人らは、井高部落は本件土地を所有し、同部落の住民は江戸時代から独占的排他的に本件土地の使用収益を続け、同土地に入会権を有していた旨主張するので、この点について判断をすすめる。

まず、前掲証人下井新太郎は、<書証番号略>について、同書証は、明治一八年に作成され井高部落で保管されていたもので、その記載内容は、井高部落の所有に係る土地の地価と税金額であり、これによれば井高部落が本件土地の所有者であることが証明される旨供述し、前掲控訴人下元幸夫本人も同旨の供述をしている。しかしながら、<書証番号略>には本件土地に関する記載はなく、また、右書証は断片的なものであって、これが作成された趣旨、目的も明らかでないことに鑑みると、<書証番号略>、並びに前掲証人下井新太郎及び控訴人下元幸夫の各供述からは直ちに井高部落が本件土地を所有し、ないしは入会権を有していたことを認めることはできない。

次に、<書証番号略>の昭和三八年一月に檮原村長崎村義郎が作成した「公有林の歩み」には「第一章二、統合村有林(部落有を統合したもの)」の項に、「本村には、旧幕時代より野山を部落持ちとして共同の財産とし、火入をして採草したり、又は樹木を伐採取得、或は製炭する等が行われていた。明治三九年、村長野口亮之、委員西村伊之助、兼頭佐弥吉等の努力により、下記の条件により部落有財産を村有に統一することができた。部落有財産統一整理の方法イ、大字持ちのものは、全部村へ寄附すること。ロ、小字持ちのものは、従来の縁故により、特売しその代金を村へ寄附すること。」と記載されているところ、「部落有」又は「部落持ち」という文言は、右記載から明らかなように「大字持ち」すなわち、六村合併により西津野村(後に檮原村と名称が変る)になる前の各村所有のものを含めるものとして表示していること、更に右と同趣旨の記載のある<書証番号略>)に照らすと、<書証番号略>の「部落」の文言は、「小字」の部落と「大字」の村を同列に「部落」と表現するものであることが明らかであるから、右文書の「部落有」又は「部落持ち」の記載を根拠に、本件土地が井高部落の所有に属するものと認定することはできない。

次に、本件土地での製炭作業についてみるに、<書証番号略>、当審における控訴人下元幸夫本人尋問の結果、及び、<書証番号略>によると、明治の終りころ、本件土地内で製炭のため中越音吾郎が造ったという炭焼窯の跡が一か所存在していることが認められ、この認定に反する証拠はない。しかし、右炭焼窯を中越音吾郎が如何なる権限に基づいて造ったものか分明ではないから本件土地上に中越音吾郎一人が造った一個の炭焼窯跡のあることをもって、井高部落民が本件土地内で立木を自由に伐採して製炭を行っていたと認定する証拠とすることはできない。また、<書証番号略>によると、本件土地の近くにある土地内には炭焼窯の跡が一二か所あることが認められるが、これは本件土地内のものではないのであるから、右炭焼窯跡があることから本件土地内で井高部落民が立木を自由に伐採して製炭をしていたとまで推認することは到底できない。

更に、控訴人らは、本件土地は交通不便な孤立した僻地にあり、同土地について、条例上の火災防止の保護義務を尽し、また発生した火災の消火活動をすることができるのは井高部落の住民以外にはない旨主張し、前掲控訴人下元幸夫本人は右主張に副う供述をする。なるほど、井高部落が交通不便な山間部のいわゆる僻地にあることは前記認定事実によって認められるけれども、<書証番号略>によると、大正四年五月三日午後三時、四万川区東川所在の佐竹良次及び神明政太の両名方で火災が発生した際、井高部落内の高階野及び伊桑の各部落から全員(ただし、一戸一人)並びに四万川区(旧四万川村)内の他の一三の部落からも殆ど全員(右同)が消火のために駆け付けていることが認められるから、このことに徴すると、本件土地で火災が発生した場合、井高部落以外の四万川区内の者が消火のため現場に駆け付けることができないほど孤立化した地にあるものとは認め難い。すなわち、本件土地について保護義務を果たせるのはひとり井高部落民のみということはできない。

四同(二)(4)について

控訴人らは、本件土地と同様に区が保存登記をした後、間もなく檮原町(当時は西津野村)に所有権移転登記をした統合町有地につき、被控訴人町が入会権者である地元部落に保護交付金を交付しており、また、檮原町議会においても、保護交付金の請求権が地元部落にあることを前提とする議決をしている旨その事例を挙げて主張し、前掲控訴人下元幸夫本人は右主張に副う供述をする。しかしながら控訴人ら主張の事例は以下のようなものである。すなわち

1  控訴人ら主張(二)(4)(イ)の保護交付金(<書証番号略>)については、さきに引用した原判決記載の認定(原判決三三丁表四行目から同丁裏六行目まで)のとおりである。

2  同(ロ)①の議決がされたことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>、当審証人山口正郎の証言によると、右議決は檮原西区内の広野部落代表の申請によるものであるが、右申請は、同区長の同意を得て行われたものであって、右部落に保護交付金請求権があることを前提として部落代表者の申請を承認したものでないことが認められる(もっとも右同意書は、文書の保存期間を経過したので廃棄されて現存しないが、右申請に必要な同意書は添付されていたものと推認できる。)。

3  同(ロ)②の議決がされたことは当事者間に争いがない。しかし、<書証番号略>、前掲証人山口正郎の証言によると、右申請にかかる檮原区(六村合併前の檮原村)内の統合町有地の立木は同区内の西ノ川部落が造林したものであることが認められるから、同部落が町に対して右造林にかかる立木の売却を申請したのは右の事情に基づくものと推認できる。

4  同(ロ)③の議決がされたことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>、前掲証人山口正郎の証言によると、右議決は、檮原東区内の川井部落代表者の申請によるものであるが、右申請は同区長の同意の下に行われたものであって、右部落に保護交付金請求権があることを前提に部落代表者の申請を承認したものではないことが認められる(同意書については右2で認定したのと同一である。)。

5  同(ロ)④の議決がされたことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>、前掲証人山口正郎の証言によると、右申請は、統合町有地の地元部落又は同部落内の数名の者が造林組合を結成し、本件条例(<書証番号略>)一二条、一八条に基づき、造林の申請をしたものであって、保護交付金の請求とは関係がないことが認められる。

6  同(ロ)⑤の議決がされたことは当事者間に争いがないところ、右議決は、<書証番号略>、前掲証人山口正郎の証言によると、初瀬区(六村合併前の初瀬村)が同区内の統合町有地についての町に対する保護交付金請求権の二分の一を町に買収してもらいたいと申請した件に係るものであることが認められ、同区内の部落の申請に係るものでないことが明らかである。

7  同(ロ)⑥の議決がされたことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>、前掲証人山口正郎の証言によると、右議決のうち檮原東区内の統合町有地に関する部分は、大蔵谷部落代表者の申請によるものであるが、右申請は同区長の同意の下に行われたものであって、右部落に保護交付金請求権があることを前提として部落代表者の申請を承認したものではないことが認められる(同意書については右2で認定したのと同一である。)。

8  同(ロ)⑦の議決がされたことは当事者間に争いがないところ、<書証番号略>、前掲証人山口正郎の証言によると、右議決は控訴人ら主張の檮原東区及び同西区の上成部落、下西ノ川部落及び宮野々部落の各代表者の申請に係るものであるが、右申請は当該区長の同意の下に行われたものであって、右各部落に保護交付金請求権があることを前提として各部落代表者の申請を承認したものでないことが認められる(同意書については右2で認定したのと同一である。)。

右1ないし8の認定に反する控訴人下元幸夫の前記供述は措信できない。

以上の事実関係に徴すると、被控訴人町による統合町有地のある地元部落に対する保護交付金の交付、及び、控訴人ら主張の町議会の議決は、いずれも地元部落に保護交付金の請求権があることを前提としてされたものではないというべきである。

したがって、控訴人ら主張の事例は、いずれも各部落に保護交付金請求権があることの証左とすることはできない。

五同(二)(5)について

控訴人らは、統合町有地に入会権を有する地元部落の住民は、入会権者として戦前は造林契約をしないで、また本件条例制定後は区の同意を得ないで統合町有地に自由に植林をしていた旨主張し、控訴人下元幸夫は、当審における本人尋問において、右主張に副う供述をし、更に井高部落で昭和三二年までに造林契約をしないで七件の造林をしている旨供述をし、また同本人作成の<書証番号略>(陳述書)にも同旨の記載がある。

なるほど、<書証番号略>、当審における被控訴人区代表者尋問の結果によると、昭和一六年から昭和三五年までの間において、被控訴人町が締結した統合町有地の造林契約三八件のうち、区長の同意を得ていないものが四件(ただし、区長の同意を必要としない越知面区内の統合町有地を除く。)あること(四万川区内の統合町有地の造林契約についてはすべて被控訴人区の同意を得ている。)が認められる。しかし、区長の同意を得ないでした右四件の造林契約は本件土地に関するものではないし、また仮に前掲控訴人下元幸夫本人の供述するように、造林契約を締結しないで植林をした事例があるとしても、それも本件土地に関するものではないのであり、むしろ、前示のとおり四万川区内の統合町有地の造林契約についてはすべて被控訴人区の同意を得ているのであるから、他の地域での事例をもって本件土地が井高部落の所有に属し、かつ、同部落ないし部落民が入会権者であったと認めることはできない。

六同(二)(6)について

<書証番号略>、前掲被控訴人区代表者本人尋問の結果を総合すると、被控訴人区は、被控訴人町から交付を受けた保護交付金のうちから、同区内の公共施設の費用及び小中学校の建物の修理、備品購入費を支出してきたことが認められるのであって、各部落が町から交付を受けた保護交付金によって公共費用を賄ってきたものではないことが認められる。右認定に反する前掲控訴人下元幸夫本人の供述部分は措信できない。

七<書証番号略>は、前記認定を左右するに足りない。

また、<書証番号略>は前記認定を補強するものである。

八よって、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安國種彦 裁判官 井上郁夫 裁判官 山口茂一は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 安國種彦)

別紙債権目録

左記土地上の国有林(官行造林第九林班、第一〇林班)上の国有林立木代(昭和四五年九月五日、国と被控訴人檮原町との売買契約)の分収金として被控訴人檮原町が国から受領した金員の二割に当たる金一一二五万円の保護交付金請求権

一 高知県高岡郡檮原町井高一〇六三番

保安林 二三万五九九三平方メートル

二 高知県高岡郡檮原町井高一一二三番

保安林 三一万三五五四平方メートル

三 高知県高岡郡檮原町井高一〇八三番

保安林 四八万四六一三平方メートル

以上

選定者目録

1 高知県高岡郡檮原町井高二一三番地

中越寿

<以下一九名略>

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